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アカシックレコードリーディングについて

今回のワークショップの先生からの課題で、最低15日、出来れば33日間、毎日20分でもいいからアカシックレコードにアクセスして質問を投げかける練習をするようにと言われました。
参加者全員がです。

もちろん私はストイックなのでやっています。
面白いのは、カードとちがって、アカシックレコードリーディングだと、今相手に言っても理解されないことは出てこなかったり、出てきても私がそれを言わないように追加メッセージがきたります。

又、質問者のエネルギーや質問内容があまりにマイナスのエネルギーを帯びていると、この人のこの質問に答えるなというメッセージが追加で降りてきます。

ヤンゴン2泊3日には以前バンコクに住んでいた時の数年来の友人も同行しました。
1人で行くのは不安なので私が行くタイミングで行きたかったのだそうです。

彼女は私が何か新たな占いスキルを習った後いつも実験台になってくれてます。
以前は執着を取る儀式の効果を確かめるための実験台になってもらったり、彼女の亡くなったご家族からのメッセージを受け取ったりもしました。(こっちは思いがけず向うが私がいるときに出てきたみたいです。意図的に呼び出すことは私はしてません)

今回もアカシックレコードリーディングの練習台にホテルでなってもらいました。
石も、彼女に合う石と、どの場所にどのように使うといいか指示して試してもらってます。

もつべきものは実験台になってくれる友人です。ふふふ。

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