スキップしてメイン コンテンツに移動

②霊性の国、インドとの関わり

私にとってインドという国は 「行きたく対けどなぜか気になり、いつか行かなくてはならない国」 という割り切れない感情を抱く場所でした。

中国で大学生をしている数年間の間に東南アジア諸国を回りましたが、 インドだけ最後の最期まで残していました。

気が重かったのです。
最後の年に、やはり行かねばと理不尽な理由に引っ張られ、インド行きを決めました。 そして、インド上陸1日目にあのメールを読んだわけです。

「お守りになるような石」を探して入ったその店のお兄ちゃんと その従弟に聞かれるままに理由を話すと、真面目な顔になり、

「それは単なる石じゃだめかもしれない。 この人は前に3年間ババ(いわゆる聖職者)の下で付き人をしていたのでそういうのに詳しいんだ」 ということで、生年月日と両親の名前などを聞かれ、 何やら占星術で私の運命を読み解く的な事が始まりました。

眉間にしわを寄せ、 「ちょっと僕のレベルでは解決できないかもしれないから師匠に電話して聞くから数日待っててくれ」 と言われ、師匠の診断結果待つこと数日。

ただ適当に石を買ってこれでよしとするはずが、話が大きくなっていきました。

結果、私の見た妄想は妄想ではなく、 その様なことが起こる可能性のある時期が まだ続いているので祈祷とお祓いもしなくてはならないということになりました。

石はバクダッドの洞窟にあるものを取り寄せるので来るまでに1か月程度かかる。

それまで何事も起こらず過ごせるように、不要不急の外出はさけ、 人と目を合わせず、一人静かに部屋で過ごせと指示が下りました。

インド旅行予定は1か月半あったので時期的には間に合うのですが、 それをずっと閉じこもって過ごすのかいと正直思いましたが、 この時の私は男に刺殺される妄想に取りつかれていたので 素直に言うことを聞くことにしました。

コメント

このブログの人気の投稿

お釈迦様のような甥っ子の言葉

こんにちは。 ベイビークリシュナ似の姪の兄である、Jの観察を最近していました。 今年9月に9歳になるJは、もともととても気性のやさしい子で、赤子の時から誰も教えていないのに自分の食べ物を犬たちに分け与えたり、親や周りの大人にも食べさせるなどの行為を自然とする子供でした。 基本が笑顔で情緒が安定している機嫌のいい子なので、乳母車に乗っているときからスーパーのレジのおばさんや、道ですれ違うおばあちゃんなどに大人気で、「あらー、ハンサムボーイねえ、将来は女の子をいっぱい泣かすわねー」などと言われる人気ぶりでした。 幼稚園に行くようになると、その慈悲の心は同級生に向けられ、新入りが来ると、誰も頼んでもいないのに自ら「ここが水飲み場、ここがトイレ」と色々案内してあげて、お弁当をこぼして泣いている子がいると、自らの分を半分分け与え、まだ英語が話せない移民の子が来ても、言語の通じないじじばばとのコミュニケーションに慣れているJは、ちゃんと一緒に遊べるので、先生がこれらの出来事を妹に話した後に、「というわけで、今後は新入りの子のお世話はJに任せることにしようと思って」と言ったそうです。 妹としては、「それは違うんじゃないか」と思ったそうですが。 というのも、JはJで多動の毛があるので、注意散漫になることも多く、妹も近くにいたしっかりしてそうな同級生の女の子に「うちの息子よろしくね」とお願いしたこともあるそうなので、それに任せていいいのか?という思いもあったはずです。 Jの多動性については、バンクーバに来てから私も観察をしてきました。 確かに基本的に機嫌のいいJですが、まだ遊びたいのに帰るよと言われたときや、気分じゃないのに宿題をやれと言われた時など、「自分のやりたくないタイミングでやりたくないことを強制されたとき」は、「クネクネ状態」に入ります。 クネクネして、やるべきことに集中できない状態で、こうなっているときは話も通じません。 話が通じる状態の時に、「この前のあれだけど、ああなってるときは頭の中はどうなってるの?何を考えてああなっているのか?」と聞いてみたら、暫く考えた後、「思い出せない」だそうです。 「その時はその時のことしか考えてない」だそうです。。 これって、お釈迦様の教えの、「今目の前にあることだけに集中」っていうのを実践してるだ...

15年でこんなに変わるなんて!-ヤンゴン

15年ぶりのヤンゴンでしたが、びっくりしました。 Before/Afterまるで別人。言われてもわからない整形手術したレベルの変貌でした。 99年から中国、東南アジア、インドをうろうろしてますが、こんなに大きく変貌を遂げた場所を見たのは初めてです。 15年前のヤンゴンは本当に何もなくて、外国に来たというより、タイムスリップした気分でした。 インターネットも5つ星ホテルにいって、10分数ドル払ってようやくのろのろつながればいいというレベルでした。 マンダレーに居た中国留学生の友人の実家は、なぜか電話が通じなくなって数か月とか言ってましたが、戻ったら別に普通に生活していたので通信インフラがまず、前時代的でした。 ミャンマー人はほぼ巻きスカート姿で、信号はおろか車も60年代のアメリカ車みたいなミニカーがタクシーとしてあるだけで、ほぼ見かけませんでした。 もちろんオフィスビルもないし、モールもないし、室内エアコンもホテルですら5つ星以外あったかどうか怪しかったです。 その分物価も物凄く安かったですが。 で、今回入ったヤンゴンは、どうやったらたった15年でここまで近代都市に変貌を遂げられたのだ?という位変わってました。 道路が新しく舗装され、高いビルやホテルが乱立。ショッピングモールもたくさんできて、仲はタイの地方都市レベルの品ぞろえです。 もちろんレストラン、モール、ホテルやビルの中にも、タクシーにも冷房が効いています。 ホテルでも若干遅いもののWifi繋がり、現地の人はスマホで普通に携帯を使っています。 シェンタゴンパゴダも、入り口にエレベーターが付き、これに乗ってしか出入りが出来なくなっていました。昔はそもそもかなり頻繁に停電が起きていたので、エレベーターもクーラーもあっても使い勝手が悪すぎてという感じでした。 街中で見かける人の数もかなり増えた気がします。 前は首都なのに閑散としてました。 15年でここまで色んななかったものを作り出すには、中国が金も人も投入したんですよね、きっと。さもないとここまでのスピードで変貌を遂げられないと思うのですが、どうなんでしょうか? ヒスイ市場のミャンマー人も英語より中国語を話す人が多くなっていました。 人民元表記してる店もありました。 唯一面影があったのは、街中にあ...

⑧インド占星術を習う-1

シンガポールを出た後、またインドが私を呼んでいる気がしました。 あんまり行きたくなかったけど、行かなければならないあの感じです。 どうせなら、と前から時間があればやってみたかった事リストの中にある、 1)インドでアーユルベータの勉強 2) インドのアシュラム...