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占い師になるまで①始まり

こんにちは。

占い師が占い師になるまでと、占い師同士でどんな会話をしているのか、 業界の裏側や、占い師という職業について書いてみようと思います。

私の場合は占い師になろうと思って占いの勉強をしたわけではありません。

20代前半のある日、いきなり他人の思考が分かるようになりました。

感覚で言うと、他人の頭の周りに考えている光景が映像化して見えたり、 近くにいる他人が近づいてくるとその人のエネルギーが私の中にも入ってきて、 体感覚として相手の考えていることが「わかる」といった感じでした。

こんなことが起こる少し前に、奇妙な体験をしました。

1週間続けて殺される夢を見続けました。 その全てで私は現世での私の外見ではないのですが、 その殺されている人の中身は私と言った感じで、 殺されて死ぬ体験をその人の中から1週間連続で味わうという体験です。

まあ、夢の中でですが感覚はリアルで、 殺されて目覚めると「ここはどこ、私は誰?」状態が数秒続きます。

普段涙することなどない私ですが、
目覚めると涙も出ていたり、
心臓がバクバクいっていることもありました。

夫に自分の子供を車ごと水没させられて殺される夢。

狂った女が髪を振り乱して刃物で首に切りかかってくる夢、 首を絞め殺される夢など様々なバージョンが1週間続きました。

最初2-3日は嫌な気分でしたが、後半は 「ここはどこ?私は誰?」で現世に記憶が戻ると、涙を拭いて 「トイレでもいって寝直すか」と切り替えが出来るようになりました。

その後、何かが見えたりわかったりするようになりました。

この時点で私は、「もしや私は狂ったのか?」と疑い始めました。

とにかく人と多く交わるといろんなものが入ってくるので 必要最低限の行動と関わりだけにとどめ、 しばらく夜遊びもやめておとなしく籠っていました。

次に「私が男に刺殺される」という映像が何度も見えるようになりました。

こうなるともう妄想だろうと思うのですが、 夜道で男性が近くにいたりすると無意識にびくっとするレベルになりました。

そんな時当時日本で大学生をしていた妹と中国に留学中だった私と、 現地集合現地解散でタイ旅行に行きました。

その先で正に自らの不注意により、良く知らない現地人の車に乗ってフェスティバルに行った帰りに 「友達の家のパーティーに行く」と同意を得ずに勝手に山の中に連れていかれるという事態に陥りました。

相手の注意を引いて車をいったん止めさせ、 止まった瞬間に一気に逃げ出して事なきを得たのですが、 その数日後に妹は日本へ帰国。

私は引き続き一人でインドに旅立ちました。

そこで他人の死に目を正夢でみるおばからのメールで、 「あなたが暗い山道をシルバーの車で連れ去られ、茶色の腕の男に木の幹でめった刺しにされている夢をみた。 間違っても知らない人の車に乗らないように。正夢にならないように、 朝起きてこの夢をすぐ他人に話したから大丈夫だと思うけど、気を付けるように」とありました。

あの出来事が起きる前日位にメールは来ていたのですが、私がチェックしていなかったのです。

この時彼女は私がタイに旅行中のことは知りませんでした。私が乗っていた車もシルバー。 状況はぴたりと一致でした。

今まで彼女からこの類の警告を受けたこともありません。

メールを開けたくそ暑いインドでぞくっとしました。

その足で宝石を売っている店に行き「なんというか、お守りになるような石ありませんか?」 と聞いたのが私の占い、霊界の世界への第一歩でした。

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