スキップしてメイン コンテンツに移動

⑫占い師のバックヤード―2

館勤務でカードの的中率の統計が取れたら、ただ占うというか、ただ通訳するような占い方では面白くなくなってきました。

ほんとに、通訳と変わらないからです。

というわけで、途中から自分の見立てと、問題の本質はこれだよと指摘することも始めました。

占うというより、生き方のアドバイスです。

何を占いたいのか、何を聞きたいのかを聞くだけで、その人の今の関心ごとがわかります。

経営者の方は大抵事業やお金のことを聞いてきますし、若い子だと恋愛や転職、中年以上になると、不倫や離婚、家族問題など段々占う内容が年を得るごとに重くなってきます。

こうなるともう、問題の核心が本人の生き方にあることが多いので、どうなるか占ったらいい結果なんて出るわけがないのです。

自分の生き方を見直さない限り、類似問題が勃発しますし、今ある問題も時期が来れば勝手に消えてなくなることもありません。(時にはそういうこともありますが、稀です)

こういう場合は、聞かれたままに「これからどうなるか」占ったら身もふたもない結果が出ます。

それをそのまま伝えてもどうしようもないので、星をみたり、使うカードをメッセージ性の強いものに変えて、
「あなたにとって最適な生き方、今何をするべきか」に質問を変えて占っていきます。

霊感霊視の先生だと、先生の思いやりで占うというより、相手が言って欲しいことを察知していってあげる先生もいます。

そもそもの占い師の性格が優しいときついことを伝えることが出来ないからです。

とは言え、その場はそれでいい気分になっても現実が上手くいかなければ、お客様は他の占い師にも同じことを言ってもらって安心したくなります。

そして、そんなときに結果をはっきりいうタイプの占い師を選んでしまうと、結果が一致しないので混乱します。

酷い場合は、これで占いジプシーになっていきます。

私の占いの師匠は手相以外全員日本人ではありません。

ですので、結果はその通り出たままを伝えますし、どうなるかではなく、どう生きるべきかにフォーカスした占いをします。

生き方を見直さないと本人が余計辛い思いをするだろうと思えば、例え今はそれを聞きたくなかったとしても、現実を直視するように伝えます。

アルコール中毒の人に今の辛さを止めるためにアルコールを飲ませたら、その時はしのげますが、症状自体は悪化するだけです。

それが進めば治癒自体が不可になります。

現実を直視しない生き方というのは、アルコール中毒と同じようなものです。

いつまでも問題の根本である自分の生き方を変えなければ、問題やお悩みは悪化するばかりなのです。

コメント

このブログの人気の投稿

お釈迦様のような甥っ子の言葉

こんにちは。 ベイビークリシュナ似の姪の兄である、Jの観察を最近していました。 今年9月に9歳になるJは、もともととても気性のやさしい子で、赤子の時から誰も教えていないのに自分の食べ物を犬たちに分け与えたり、親や周りの大人にも食べさせるなどの行為を自然とする子供でした。 基本が笑顔で情緒が安定している機嫌のいい子なので、乳母車に乗っているときからスーパーのレジのおばさんや、道ですれ違うおばあちゃんなどに大人気で、「あらー、ハンサムボーイねえ、将来は女の子をいっぱい泣かすわねー」などと言われる人気ぶりでした。 幼稚園に行くようになると、その慈悲の心は同級生に向けられ、新入りが来ると、誰も頼んでもいないのに自ら「ここが水飲み場、ここがトイレ」と色々案内してあげて、お弁当をこぼして泣いている子がいると、自らの分を半分分け与え、まだ英語が話せない移民の子が来ても、言語の通じないじじばばとのコミュニケーションに慣れているJは、ちゃんと一緒に遊べるので、先生がこれらの出来事を妹に話した後に、「というわけで、今後は新入りの子のお世話はJに任せることにしようと思って」と言ったそうです。 妹としては、「それは違うんじゃないか」と思ったそうですが。 というのも、JはJで多動の毛があるので、注意散漫になることも多く、妹も近くにいたしっかりしてそうな同級生の女の子に「うちの息子よろしくね」とお願いしたこともあるそうなので、それに任せていいいのか?という思いもあったはずです。 Jの多動性については、バンクーバに来てから私も観察をしてきました。 確かに基本的に機嫌のいいJですが、まだ遊びたいのに帰るよと言われたときや、気分じゃないのに宿題をやれと言われた時など、「自分のやりたくないタイミングでやりたくないことを強制されたとき」は、「クネクネ状態」に入ります。 クネクネして、やるべきことに集中できない状態で、こうなっているときは話も通じません。 話が通じる状態の時に、「この前のあれだけど、ああなってるときは頭の中はどうなってるの?何を考えてああなっているのか?」と聞いてみたら、暫く考えた後、「思い出せない」だそうです。 「その時はその時のことしか考えてない」だそうです。。 これって、お釈迦様の教えの、「今目の前にあることだけに集中」っていうのを実践してるだ...

15年でこんなに変わるなんて!-ヤンゴン

15年ぶりのヤンゴンでしたが、びっくりしました。 Before/Afterまるで別人。言われてもわからない整形手術したレベルの変貌でした。 99年から中国、東南アジア、インドをうろうろしてますが、こんなに大きく変貌を遂げた場所を見たのは初めてです。 15年前のヤンゴンは本当に何もなくて、外国に来たというより、タイムスリップした気分でした。 インターネットも5つ星ホテルにいって、10分数ドル払ってようやくのろのろつながればいいというレベルでした。 マンダレーに居た中国留学生の友人の実家は、なぜか電話が通じなくなって数か月とか言ってましたが、戻ったら別に普通に生活していたので通信インフラがまず、前時代的でした。 ミャンマー人はほぼ巻きスカート姿で、信号はおろか車も60年代のアメリカ車みたいなミニカーがタクシーとしてあるだけで、ほぼ見かけませんでした。 もちろんオフィスビルもないし、モールもないし、室内エアコンもホテルですら5つ星以外あったかどうか怪しかったです。 その分物価も物凄く安かったですが。 で、今回入ったヤンゴンは、どうやったらたった15年でここまで近代都市に変貌を遂げられたのだ?という位変わってました。 道路が新しく舗装され、高いビルやホテルが乱立。ショッピングモールもたくさんできて、仲はタイの地方都市レベルの品ぞろえです。 もちろんレストラン、モール、ホテルやビルの中にも、タクシーにも冷房が効いています。 ホテルでも若干遅いもののWifi繋がり、現地の人はスマホで普通に携帯を使っています。 シェンタゴンパゴダも、入り口にエレベーターが付き、これに乗ってしか出入りが出来なくなっていました。昔はそもそもかなり頻繁に停電が起きていたので、エレベーターもクーラーもあっても使い勝手が悪すぎてという感じでした。 街中で見かける人の数もかなり増えた気がします。 前は首都なのに閑散としてました。 15年でここまで色んななかったものを作り出すには、中国が金も人も投入したんですよね、きっと。さもないとここまでのスピードで変貌を遂げられないと思うのですが、どうなんでしょうか? ヒスイ市場のミャンマー人も英語より中国語を話す人が多くなっていました。 人民元表記してる店もありました。 唯一面影があったのは、街中にあ...

⑧インド占星術を習う-1

シンガポールを出た後、またインドが私を呼んでいる気がしました。 あんまり行きたくなかったけど、行かなければならないあの感じです。 どうせなら、と前から時間があればやってみたかった事リストの中にある、 1)インドでアーユルベータの勉強 2) インドのアシュラム...